桜島黒神中学校の埋没鳥居と噴火

垂水の足湯温泉のあたりから見えるのがちょうど桜島の黒神の方角だということで、そこには黒神中学校があって埋没鳥居のある場所なんですね。中学校の裏門というようなところにあって、今でも中学生たちが出入りできるスペースがあるのです。何年か前、家族でドライブに行ったときに中学校のおトイレを借りたことがあったのですが、まわりは樹木が多くて桜島そのものは見えなかったような気がします。

入口のところには、お社が置いてあります。大正3年、1914年の1月12日に西桜島赤水上が噴火して、それから東桜島黒神の鍋山が大音響をたてて爆発します。噴煙は上空7000m〜8000mに達したといいますので、それはもう「新燃岳」の噴火よりはるかに想像を超えるものですね。約30億トンの溶岩が火の波となって瀬戸海峡へ流れ出したということです。

以前は、桜島と大隅半島とは陸は繋がってはいなかったのですが、その噴火によって陸続きになってしまったということがあります。それは噴火の前触れとして、3日前から井戸の水が沸騰したり海岸にも大量の魚が浮いてくる、冬場なのに蛇やトカゲが活動していたなど確認できていたことなどがあるようです。

それで、直接的な前兆としては前日から山頂付近で岩石が地鳴りとともに崩れ落ちてきたことがあります。山腹では薄く白煙も立ち上る様子も確認され、海岸近くの温泉場では臭気を発する泥水がわいたりしているんですね。そして海岸でもいたるところで温水や冷水がわきだしてくる始末です・・。

住民は息もできないほどの灰や軽石が降る中、海岸へと避難したといいます。「津波が来る」といわれる中、馬の手綱を切ったり、あわてふためいて、もうパニック状態ですよね。それで、牛根や垂水、鹿児島方面へと避難するわけなんですが・・。3〜4日すると、家のことや畑のことを案じて調べに帰った人もいるといいます。

驚くなかれ、鹿児島の人たちはなんとたくましいのでしょう。その中で噴火の見物を見ようとする人たちに観光船を出したり、温まった海水で天然の露天風呂に入る人たちもいたとか、まわりでもそれはもう大変な騒ぎになってもいたようです・・。

溶岩は時間をかけて流れるものが特徴で、海岸へと流れつくには2〜3日がかかったといいます。その後は約1か月にもわたって頻繁に爆発が繰り返されて多量の溶岩が流出したといいます。死者も58名でているといいます。それまでに深さ約10㎞の地中にマグマが蓄積されていたということですが・・。火山地帯ではこの深さというのはあたり前なんでしょうね。

それで、火山性地震もその日の午後6時30分にマグニチュード7.1の強い地震が発生しているということで、噴火とは多少のずれがあることがわかります。大きな噴火であるのですが、10日からの住民の避難ができたということもあったので死者も最小限に抑えられたことがあったのかはしれませんね。避難しようと思っても、近辺の海には海面にうかんだ軽石が深さ1mにもなって困難な状態でもあったということです。